この間、仕事で軽井沢にいきました。
そういえば軽井沢には仕事でしか行ったことがないなぁと、美しい湖を見ながら思いました。
ほぼ日の「今日のダーリン」(糸井重里さんのエッセイ)を
ときどき読んでいます。
そこにちょっと前、「消費のクリエイティブ」ということが書かれていました。
けっこう前から言っているけど、
わりと世間からは“無視されている”とありました。
今日のダーリンのコラムのバックナンバーは見つからなかったのですが、
検索してみると、消費のクリエイティブについて糸井さんが語っている記事が、
ポツポツ出てきます。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100609/214856/
https://www.1101.com/okane/rudy/2010-07-20.html
あと、2001年に糸井さんが出した本『インターネット的』のなかにも詳しく書かれています。(いま読んでも面白くて、おすすめです)
お金の使い方。休み方。そういうものをクリエイティブにしていく。
与えられたものをそのまま消費するのではなくて、
自分で考えて、選んで、能動的にたのしむ。
そんな段階にこの豊かな時代は突入しているみたいです。
そしてまた、生産者という立場にもなり得る消費者が、
日々、クリエイティブに消費することによって、
いままでになかった、新たなものが生まれる芽になっていく。
そんなような、ことでしょうか。
自分のなかでもけっこうもやっとしているのですが。
でも。消費のクリエイティブ。そんな意識で周りを見渡すと、
それよって生まれているモノやコトが
けっこうあるなぁとも感じます。
生産者の都合じゃなくて、消費者がほんとにほしいもの。
たとえがおもちゃで恐縮ですが、
スフィロ社がつくった、カーズのマックィーンのラジコン
「アルティメット・ライトニング・マックィーン」なんかも、
消費のクリエイティブを感じる商品だと思います。
映画のなかからそのまま抜け出してきたかのように、
口や目が動いて、生きてるみたいに動いて、
映画と同じ声でしゃべる。
これって絶対、つくった人がほしかったものだよなぁって、
楽しんでつくる姿が想像できる。
いままで、モノの足りない部分(生産者の都合でつくれなかった部分とか)は、
消費者の想像力によって補っていたりもしましたが、
ここまで形になると、また別次元の想像が生まれてきそうです。
マックィーンと普通にお話しできたらいいなとか、
ほんとに友達になれたらいいのに、とか。
あと、昔(80年代頃?)の東急ハンズもまさに消費のクリエイティブって感じの場だったと思います。
当時はまだ子どもだったのと、田舎モノなので、ハンズがすごかった時代をリアルタイムでは知らないですが、ハンズが10周年(1986年)のときにつくった分厚いコンセプトブックを中古で買って持っていて、これはほんとにすごい本です。(次回、詳しくご紹介したいと思います)
暮らしに必要なものは、もうほとんど持っている。
じゃあ欲しいものってなんだろう。
肌感覚でつくられたもの、発信されたものが主役の時代。
だからこそ、いまだに大人の都合にまみれているものこそ、
とても伸びしろがありそうです。